親の背中は、子に語らずとも響く
―― 言葉よりも「在り方」がすべて ――
【「親」としてというより、「人」としての在り方】
「ちゃんと挨拶しなさい」
「人に優しくしなさい」
「ありがとうはちゃんと口に出して伝えるんだよ」
親は、つい子どもに“言葉”で教えようとする。
もちろん言葉も大事。けれど、それ以上に大切なのは、
親の“背中”=在り方そのものだと俺は思ってる。
子どもは、親の口ぐせよりも、
毎日の行動・態度・ふるまい・表情を見て、
無意識に「これが大人の姿なんだ」と感じ取っている。
たとえば、親が「ありがとう」と言っていなければ、
どれだけ言葉で「感謝の大切さ」を語っても、伝わらない。
逆に、誰かの悪口ばかり言っていれば、
子どももそれを「普通」として受け取ってしまう。
このことは、なにも「親」だけに限った話じゃない。
「人」として大切な姿勢だと思う。
たとえば──
学校では「先輩と後輩」、
職場では「上司と部下」、
そして兄弟であっても同じ。
口だけじゃなく、行動で示すこと。
それが、人と人との信頼を育てる大切な土台なんだ。
【俺が見てきた、親父の背中】
俺も、親父の背中を見て育った。
無口で頑固で、口では何も言わない親父だったけど、
いつも朝早くから黙って仕事に出かけ、
疲れた顔ひとつ見せずに、淡々と働き続けていた。
「働くって、こういうことなんだ」
「背中で責任を見せるって、こういうことなんだ」
子どもの頃は分からなかったけど、
大人になってから、その意味がじわじわと染みてきた。
言葉じゃなく、生き方そのものが、俺の憧れになっていた。
今でも、あの親父の背中は、俺の中にしっかり残ってる。
【伝えたいなら、まず“自分”が実践すること】
「背中で見せる」「仕事は見て覚えろ」
そんな言葉を聞くと、「THE昭和かよ」と思う人もいるかもしれない。
正直、俺も「生き様を見て学べ!」なんて
上から目線で言う気はまったくない。
でも俺が言いたいのは、
周りに“見せるための生き方”ではなく、 “自分がどう生きたいか”を軸に、言葉も行動も決めていこうってこと。
時代がどう変わろうと、
むしろ現代こそ、「自分らしく生きること」が難しくなってると思う。
だからこそ、KやMに何かを伝えたいなら──
俺が本気で、自分の人生を生きるしかない。
・苦しくても、前を向いてるか
・素直に「ごめん」が言えるか
・日々を楽しんでいるか
・本気で誰かに優しくできているか
俺の生き様を見て、2人が何を感じるかは正直わからない。
でも、それでいい。
俺は、見せるためじゃなく、「俺として生きる」だけなんだ。
【子どもは親を選べない。だからこそ責任がある】
KもMも、どんなお父さんに生まれるかは選べなかった。
でも、俺は2人にとって“たったひとりの父親”だ。
だからこそ、言葉じゃなく、生き方で示していきたい。
俺自身が「こうありたい」と思う“理想の父親像”を、
形にしていこうと挑戦し続けたいんだ。
もし、2人が俺の背中を見て何かを感じてくれたら、それだけで十分。
「親父みたいにはなりたくない」と思ったとしても、それだって意味のあること。
でもどこかで──
「やりたいことに真っ直ぐ生きてた」
「いつも前向きで、人に感謝してた」
「自分に嘘をつかずに生きてた」
そんな風に思ってもらえたら、やっぱり嬉しいよな。
✍️ 最後に
最後までお読み頂きありがとうございます。
このメッセージは、僕の2人の息子たちに向けたものですが、
世界中のお父さんや子供達、この世界で生きている何処かの誰かのお役に1mmでもなれたら嬉しく思います。
僕は、
『縁ある人々の笑顔と喜びの量を増やし、子供達の明るい未来を守る』という人生目的の為に、
1人でも多くの『カッコよい父親』を増やすためにこれからも頑張っていきます。
これからも一緒に頑張っていきましょう!
ありがとうございました。