鹿児島知覧~特攻隊からの学び~

鹿児島県知覧。
第二次世界大戦の最終局面で日本が最後に出した作戦、特別攻撃隊。
「特攻」の飛行機が飛びたった場所。
日本人として、知らなくてはいけない場所だし、後世に伝えなくれならない場所だと思った。
そんな、知覧から感じた事を、伝えたい。

今を生きているみんなにとって、何らかの力になれたら幸いです。

1番は、いつでもいいから、人生で1度は知覧に足を運んで欲しい。
広島・長崎や沖縄などの平和記念公園は有名で、行ったこともある方も多いと思う。

これは、僕の率直な感想で、知覧は上にあげた場所と明らかにエネルギーが違っていた。
戦争の悲劇や悲惨さ悲しい記憶というのは、あるものの、日本の為、愛する家族の為に自分の命を懸けて、未来を信じて立ち向かっていった前向きエネルギーが感じられた。

もちろん、誰だって死にたくなかったはずだ。それでも尚、死ぬと分かっていて、更に言うと日本は負けると思っていながらも、日本の未来の為、残された家族の為。飛びたったのだ。

富屋食堂の存在
知覧と言えばもう一人特攻の母と呼ばれた「鳥濱トメさん」という方が居る。
この、トメさんの話が、また、心を熱くさせる。そして、色々考えさせられる。

現在、富屋食堂は資料館として有るので、ここもぜひ行って欲しい。
特攻隊1人1人と愛を持って向き合い、支えてきた。
トメさんも命を懸けて、特攻の方たちを支え、愛した。
そして、やはり僕は「食」の素晴らしさ。
ただ、美味しいだけじゃないんだ。
そこには「愛」が有り、「食」を通して「愛」は伝えられる。

史跡を回って、その景色を見ると、当時の風景が目に浮かぶ。
くしくも、俺は、沖縄から鹿児島に安心安全に飛行機で向かっていた。
80年前は、鹿児島から沖縄に飛行機で突っ込んでいく。
どんな思いだったのか、正直言葉にならない。

俺が知覧の地で「特攻」や「トメさん」から学んだものは、
「未来を信じて、今を一所懸命に生きる!」という事。
日本は負ける。分かっていながら突っ込んだのは、終戦後、残された家族達の為、まだ見ぬ未来の日本の為。
信じていなきゃ、出来っこない。
その為に、今自分が出来ることを精一杯やる!

結局、時代が変わっても、大切な事は変わらないと思う。

今の時代に生まれ生きている自分たちも、未来の日本の為、未来の子供達の為、何が出来るか!?
子供達が、キラキラ輝く日本を信じて!